カトリック清水教会聖堂
カトリック清水教会聖堂は静岡県に残る希少な木造ゴシック様式の建築物。1935年からおよそ90年を経ても尚、美しい姿を残しています。
この教会のことを見たことも聞いたこともないという方は、まずは動画をご覧ください。
Hiroe Shiba-ピアニストの柴猫-様の動画をご本人の了解をいただきリンクさせていただきました。
聖堂内部の動画はこちら→(11分03秒)
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建設に奔走されたドラエ神父
なだらかな坂道に現れる二つの尖塔。徳川家の所有していた御殿跡地に建てるために奔走し、私財を投じたドラエ神父の想いによってこの地に建設されました。
1884年、フランスのブローニュに生まれたルシアン・アドルフ ドラエ神父は、今から112年前、25歳の時、フランスから宣教師として来日しました。
ドラエ神父は、静岡に二つの教会を建てました。まず初めに建てたのは1917(大正6)年、谷津(やつ)という田舎の極々小さな教会堂でした。 国の登録有形文化財でもあったこの教会堂は、地元の心ない若者の放火により、跡形も無く全焼してしまいました。
1931(昭和6)年、フランスへ帰国し、清水教会建設のための資金調達に奔走します。そして、1935(昭和10)年、徳川家康の御浜御殿跡に、カトリック清水教会聖堂が完成しました。
ドラエ神父は第一次世界大戦の開戦した年、1914年に静岡教会に赴任してから1954年に静岡の谷津で帰天するまで、自らの命は惜しまず、私たち日本人の命や人生を救い続けてくれました。
カトリック清水教会の聖堂を建てるにあたって、ドラエ神父が故郷ブローニュ・シュル・メールから運ばれたマリア様は、今もずっと、聖堂から見守り続けてくださっています。
Hiroe Shiba-ピアニストの柴猫-様の動画を、ご本人の了解をいただきリンクさせていただきました。
ドラエ神父に寄すーカトリック清水教会ー 動画はこちら→(7分54秒)
建築技術者をも魅了する木造のゴシック様式
この教会の価値として、真っ先にあげられるのは建築的意匠の価値です。会衆席、祭壇・香部屋からなる教会は外観、内観ともに美しく、外観を見れば 1 階と2 階の境界にはフリーズ状の帯が回り、トリグリフの装飾が施されています。室内から入口を見返せば、両開きの扉上部に尖頭アーチのステンドグラスとキリスト像。2 階部分は楽廊となり、梯子が達して尖塔内のベルタワーへ。見上げる壁には薔薇窓と尖頭アーチの上下窓があり、あらゆる部分にロマネスク、ゴシックの様式の要素が見られます。
西洋ではレンガや石材を積み上げていく組積造。この様式を木造に置き換え、清水の大工たちが日本の木像建築技術によって完成させたことを思うと実に圧巻で、建築設計者、建築技術者の心さえも奪うほどの魅力があります。
※香部屋:(こうべや)ミサの準備品がおいてある部屋/トリグリフ:3つの平行な縦の溝のある石/楽廊:(がろう)聖歌隊のためのエリアに上がる階段/薔薇窓:(ばらまど)ステンドグラスを用いて作られた円形の窓
市民を救い、地域に愛されてきた空間
尖塔アーチの上下窓と円窓。ステンドグラスからは陽光が差し込み、美しい空間をつくり出しています。太平洋戦争の空襲や艦砲射撃を免れたこの場所が、多くの負傷者を受け入れる救護所となったことを想像すると、とても感慨深い気持ちになります。
聖堂内に敷かれているのは畳。この地域に馴染み、信徒の祈りの場として、憩いの場として、多くの人に愛されてきました。戦争体験を伝える会、読み聞かせやコンサートなど、地域の文化を育む役割も担ってきた空間には、たくさんの記憶が刻まれています。
様々な人たちの想いによってこの地に生まれ、つながれてきたこの意匠と空間。地域の大切な財産として、その役割を未来へと託していきたいと思います。
聖堂の歴史と地域との歩み
西 暦 | 和 暦 | 概 要 |
1924年 | 大正13年 | フランス出身のドラエ神父が静岡教会主任司祭となる |
1931年 | 昭和6年 | ドラエ神父がフランスへ帰国し、清水教会建設のための資金調達に奔走 |
1933年 | 昭和8年 | (静岡市清水区)入江町に最初の清水教会が発足 |
1935年 | 昭和10年 | ドラエ神父の私財により静岡市清水区岡町にゴシック様式の聖堂を持つ教会が完成 |
1945年 | 昭和20年 |
太平洋戦争の大空襲により清水が被弾 カトリック清水教会の聖堂が負傷者の救護所となる |
2014年 | 平成26年 |
聖堂の修繕・建て替えの検討が始まる |
2019年 | 令和元年 |
維持・保存のための署名活動等が始まる |
2021年 | 令和3年 |
カトリック清水教会聖堂の閉鎖 |
2022年 | 令和4年 |
聖堂の移転のみが認められ、保存・移築に向けた活動準備が始まる |
2023年 | 令和5年 |
12月末、カトリック清水教会聖堂の解体 |
大切なものは、失われてから気づくもの。
太平洋戦争の中で静岡が受けた大空襲。
清水のまちは焼け野原となり、多くの命が失われました。
激しい戦禍の中を生き延びた建物のひとつが、二つの尖塔を持つカトリック清水教会の聖堂です。
驚くべきことに、西洋で確立されたゴシック様式が木造の建築技術によって再現されているのです。
この美しい聖堂が建築されたのは1935(昭和10)年。
カトリックの普及のために私財を投じ、並々ならぬ思いでこの教会を建てたドラエ神父は、太平洋戦争中も日本に留まる道を選びました。
火災から教会を守り抜き、負傷した市民を受け入れ、自らも必死に救護にあたったと伝えられています。
およそ90年の歳月を経た今も、そのままの姿で私たちの目の前に存在する奇跡、大工をはじめとした職人たちの挑戦も、幸せを願って祈りを捧げた人たちの想いも、この聖堂が記憶しています。
大切なものは、失われてから気づくもの。
今、この価値を失うわけにはいきません。
2023年末から取り壊されてしまう聖堂を未来に遺していくために、私たちが選択したのは移築という再生の道です。
幾多の試練を乗り越えた聖堂はきっと、このまちに豊かな未来を連れてきてくれると信じて。
聖堂が見守る美しいまちを、一緒に築いていきませんか。